金谷山大明寺

金谷山大明寺は横須賀市にある日蓮宗の寺院です。

TEL.046-851-1760

〒238-0031 横須賀市衣笠栄町3-77

境内

              本堂

本堂

    本堂は明治19年に火災の影響で焼失し、明治31年に再建されました。当山は弁阿闍梨日乾の勧進で、1399年1月11日に造立され、翌年彩色されて同年12月26日に供養されました。また、鎌倉仏師日向守が1638年に題目塔と台座を造立、その時の願主が15世日宥であること、施主が2代将軍徳川秀忠の御房岡部氏女であることなどが、現存する史料によって分かります。昭和57年に釈迦および多宝如来坐像が、横須賀市市重要文化財に指定されました。

              大客殿

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    大客殿は、平成元年に建てられ地下1階地上2階建で約570坪あります。この大客殿は、信仰の道場であり檀信徒皆様の安らぎの場です。各種の法会集会・仏教行事・仏前結婚式・葬儀研習会等、はば広く一般にも開放・活用されています。

              釈迦堂

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    釈迦堂は常在殿ともいい、昭和6年に建てられ、本仏のお釈迦さまを祀っています。お釈迦さまはこのお堂から、参拝に来られる方々を見守っています。また、毎年4月8日の花まつりの日にはこのお堂で法要が行われます。

              七面堂

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    七面堂は昭和56年に建てられた、七面大明神を祀っているお堂です。また、1月19日、5月19日、9月19日の年3回、檀信徒を集めて大祭が行われます。

              開基堂

開基堂

    相談室日蓮聖人が安房国(現在の千葉県)から米ヶ浜に上陸し、その山上に建てた三浦法華堂を、明徳の乱の1年後の明徳3年(1392)に、大妙房日栄上人がこの地に移しました。したがって大明寺は日栄上人を中興の祖とします。平成13年に日栄上人第六百恩忌を記念して開基堂が建てられました。この開基堂には日栄上人のご両親(石渡則次夫妻)の御尊像も一緒に安置してあります。 石渡氏夫妻坐像と大妙房日栄上人坐像、釈迦堂に祀られる日静上人坐像が、横須賀市市重要文化財に指定されました。 1Fは開基堂、B1Fは社会福祉法人立正福祉会「青少年心の相談室青少年教育研究所」として青少年のかかえる問題や宗教問題の相談と研究を行なっています。

              動物霊堂・資料館

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    B1階の資料館は、三浦半島の本山としての古い歴史、また高い格式をもった大明寺の資料を展示しています。当山は明治の大火により多くの資料が焼失してしまいましたが、その中でも焼失を免れた貴重な資料があります。この資料館は、良い環境下でそれらを保存 すべく、平成18年に設置しました。中でも最も貴重とされるものが、日蓮聖人の御真筆(直筆)の『開目抄』の断片です。700年以上前の古文書で、宗門としても貴重な資料です。その他数多くの古い資料を見ることができます。

              檀信徒会館

会館

 檀信徒会館は平成4年に建てられたもので、檀信徒の皆さまに有意義にお使いいただく施設です。春・秋の年2回の合同お茶会などにも使用されています。

              鐘楼

鐘楼堂

 鐘楼は、昭和37年に作られました。この鐘楼は、毎日朝5時半・夕方5時に鳴らします。また、12月31日の午後11時半よりお礼納め・除夜之鐘に鳴らします。

              仁王門・仁王像

仁王門

 仁王門は江戸時代に建てられ敷石の参道の先の階段の上にあり、「金谷山」の扁額が掲げられています。 台風の被害により、平成23(2011)年9月21日に破損した仁王門と仁王像。右腕などを破損した仁王像の修復は、有名な仏師の梶谷叡正さんにお願いしました。その調査によると、前回の修復は関東大震災(1923年)で破損した際のもので、資金不足だったのか、応急処置程度にとどまっていました。それまでも、大きな地震があるたびに修復されてきたようです。今回は、色の塗り直しました。 仁王門は、屋根の棟がずれてしまい、滝沢工務店に修復を依頼。柱には老朽化に加えて腐食が見つかり、処置をいたしました。またこの修復を期に、これまで金綱で囲まれて見にくかった仁王像のまわりが、ガラス張りになりました。それらの修復が完成しました。

              日蓮聖人像

日蓮聖人像

 立教開宗750年慶讃報恩記念として、日蓮聖人の銅像が建立されました。日蓮聖人は建長5年(1253)4月28日、千葉県清澄山上において始めて南無妙法蓮華経とお題目を唱え、法華経の教えを広めることを誓われました。

              六地蔵

六地蔵

 大明寺の境内に、六地蔵があります。平成10年に建立したものです。地蔵菩薩はお釈迦様が御入滅された後、弥勒菩薩が仏様として現れるまで人々を救済するために使わされたと言われています。地蔵像といえば、菩薩でありながら錫杖を持つ僧の姿をしています。これは親しみやすい姿で地獄をはじめとする六道をめぐって人々を救うという本願を表しているのです。六道とは、人間およびそれ以下の苦しみの世界を六つに分けたもので、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上を指します。そして、六地蔵は、その六道における苦しみを救う六種の地蔵のことをいいます。このような地蔵信仰は、道祖神などの在来信仰などとも習合し、町や村の辻々の六地蔵となり、地獄の鬼から子どもを守る賽の河原や、地蔵縁日に子どもたちが地蔵を祀る地蔵盆の風習を生みました。

              永代供養塔

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 本来墓地は寺の境内地に建立されるのが最良と言われています。なぜなら寺院そのものが聖地を選んで建立されていて、毎日の読経回向がされているからです。御先祖様も未来永劫心安まる場所ということです。さて、近年の社会状況は大きく変化し、核家族化、少子化、高齢化を迎え、代々受け継がれることを前提としたお墓が、存続できなくなってきています。例えば結婚をしない、子どもがいない、子どもが娘だけ、身寄りがない、子どもに負担を掛けたくないなど、自分の死後に対する不安や墓地の問題をどうするかで悩みを相談される方が増えました。こうした悩みに少しでも対応しようと、一つの解決策として永代供養墓を建立することに致しました。境内墓地なのでお寺がなくならない限り永続して供養して行くことができます。毎年お寺が施主となり永代供養者の法要を行います。

随時、募集中 詳しいことは寺務所まで。

              太田資康の墓

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 本堂裏手には、太田資康の墓と顕彰碑があります。資康は江戸城を築いた太田道灌の子で、三浦道寸義同の娘を妻としていたことから、道寸を助けて北条早雲と戦い、永正10年(1513)年に戦死大明寺に葬られたと伝えられています。